昨日、精霊供養を修し終わりました。

精霊供養とは、精霊、餓鬼を供養し、その徳を故人や、諸々の霊に振り向けて懺悔するためのものです。

供養というのはそもそも、お世話する、歓待するというような意味です。
ですから、私たちは仏様や神様をご供養する、という言い方をします。

南無阿弥陀仏と唱えても、南無妙法蓮華経と唱えても、阿弥陀仏に帰依します、法華経を敬いますということですから、実は直接、霊や亡くなった方を供養しているのとは少し違います。

亡くなった方はもう体をもたないので、徳を積むことが難しい。ですから、生きている私たちが仏様をご供養し、この世で、人様をご供養することで徳を積み、その徳を亡くなった方のたために振り向ける。

これが回向(回し向ける)ということであります。

精霊供養とは餓鬼の世界におち苦しんでいる餓鬼を供養し、助けることでその徳を亡くなった方や、自分が冒してきた罪を償うために振り向けるご祈祷です。

餓鬼はザンバラ髪で手足がガリガリにやせ細り、腹だけが異常に膨らんだ哀れな姿で描かれることが多いと思います。

餓鬼界は、六道輪廻のなかで地獄に次いで、厳しくつらい世界とされます。

喉が細くなって一切の飲み物、食べ物が通らない、食べようとすると食べ物が炎となって消えてしまう、常に飢え渇きに苦しんでいます。

生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わるといいます。

精霊供養は特に餓鬼に対して、醜い姿を整え、喉を開き、食べ物と甘露を与え、餓鬼界から天界・浄土に生まれかわるように導くご祈祷です。

一週間続けて修しますが、やまもりにもったお供えのご飯にカビが生えて行が完了したとします。

私は修業する前は、一週間もご飯をほっておけばカビはほっておいても生えるだろう、そこに不思議などあるものか、などと思っていましたが、一週間だとなかなかカビは生えてきません。

今回は無事(?)にカビも生え、ご供養ができました。

今回は東日本大震災で被災し亡くなられた方のご供養を発起し、その御縁で精霊供養いたしました。

精霊供養はもっとも典型的には霊障のひどいときに修します。
あるいは自分の冒してきた罪、家の冒してきた罪を償い、積み上げてきた悪業をきれいにして運勢の改善をはかるときに用います。

餓鬼は生前むさぼってきたものたちですから、実は餓鬼の世界で多くの宝物をもっているとされます。
供養することで、供養してくれるものにその財宝をささげるともされます。

夏に行う、世餓鬼も同様のものですが、これらは実は増益法(現世の状態を積極的に増進させる修法。福徳・商売繁盛・家門繁栄・学業成就など)とされます。

ただ、一番の目的がお金がほしい、という理由で世餓鬼や精霊供養を行うものではないと思います。