般若心経は何のために読むの?
いきなりこのような質問を知り合いの占い師の方から頂きました。
面喰いました。
一瞬言葉に詰まりました。
薬の効用のように、「風邪が治ります」とか「かゆみが止まります」というように、このお経は何々に効きます、というように単純化して考えたことなどなかったからです。
実際、その質問者はなにかおまじないの一環として般若心経をとらえている風でした。
以下、私の答えです。
般若心経に限らず、お経は仏様への供養として読みます。
供養とは、葬儀や、法事でお坊さんにお経を読んでもらったり、お墓や位牌を作って手を合わせること、つまり亡くなった方のために何かすることのように思われていますが、実は違います。
供養とはお世話をすること、ご飯をあげたり、衣服を清潔に保ち、明りをつけて部屋を快適に保ち、あるいは経済面の援助をおこなったりすることを言います。
お坊さんにお布施を差し上げるというのは、実は在家の方がお坊さんを供養しているということになります。
お経をあげることで仏様がお喜びになる。お水やお香やお供え物もそうですが、最も仏様を供養するのにふさわしいのがお経をあげたり写したりすることです。
その善行がお経をお唱えしている人にも良い縁となってめぐり廻ってくるのです。
亡くなった人はもう自分ではお経をお唱えできないのですから、生きている私たちが代わってお経を唱えさせてもらって故人にもその徳を振り向ける、これが回向(えこう)、回し向けるということです。
その徳を自分自身や生きているひとが受け取ればそれがご祈願となります。
ですから、お経を上げるためには拝む対象が必要なのです。
お経をなにか願望の実現のための呪文のようにとらえてしまうのはおかしいことです。
質問者に、写経もいいですよと申し上げたら、書いたものはどうしたらいいでしょうとのこと。
大事に取っておいてもいいし、札所と言われるようなお寺に奉納すればいいです、そのときにいくばくかのお金を添えるのが礼儀でしょうねと申しました。
近所に引き受けてくれるお寺がなければ、奈良の薬師寺の納経(お経をお寺に納めること)が有名だからそこに納めるといいですよ、奈良まで行かなくてもできるとの話もしました。
http://www.nara-yakushiji.com/osyakyo/
質問者の知り合いに写経を書いてはそのつど捨てている人がいるとのこと。
なんともったいないことでしょう。
カルマを写して焼くというようなイメージのようですが、そのような術のツールとしてお経を考えているとしたらなんともさみしいことです。
お経はなんのために読むのか。
このような根源的な質問は答えるのが難しいのですが、いまそれについて考える機会を下さった質問者に感謝したいと思います。