僧侶と女子力⑨
新型コロナウイルスで亡くなった方は日本で1000名強
インフルエンザは毎年世界で10億人が感染し、数百万人が感染し、数十万人が亡くなる
これをもって新型コロナウイルス恐れるに足りず、という言い方があります
本当でしょうか?
インフルエンザにはワクチンもあり、治療薬もある
罹患すれば、どのような経緯でどうなるかの予想もつく
インフルエンザとはお付き合いの「作法」ができていると言えます
新型コロナウイルスで、重症化するのはごく一部の人かも知れませんが、なんとなく年寄りに多いという以上のことは分からない
この新しいウイルスと私たちはどう付き合って行くべきかの作法を、まだ私たちは身につけていません
だから不安なのだと思います
今日の合理性は明日にはすぐにひっくり返る
行為の型は全く出来ていません
作法は、その初期の成立にあたっては合理的な理由があることが多いですが、成立後は、先ずは型として四の五の言わずに身につけてしかるべきです
作法が形成されるのは時間がかかる
そして一度出来上がると壊しにくい
昨今の変化著しいビジネス環境においてはそのようなまどろっこしいことはしてはならないことだと思います
中元歳暮などは、役人は禁止、会社組織でもほぼ禁止
昨今の社会においては盆暮れの付届けは「バカバカしい」ことだと思います
しかし伝統的文化の世界では全く崩れていません
世間では崩れているが故に、明示的に「せよ」と大真面目に言わなくてはなりません
それが宗教やお稽古事においては作法だからです
作法にまで昇華されない行為は不安定です
インフルエンザの作法が我々に定着するのは十年単位の時間がかかりました
科学技術が進んでも合理性が世界を覆い尽くしても、この新型コロナウイルスの作法が半年や一年で出来上がるとは思えない
そうでなければ、ほんの一部の合理的と主張する「正しい人」に盲従する以外ありません
緊急事態時はそれが必要だと言う考えがあります
一年で楽になるために、失敗覚悟で誰かに任せてしまうか、時間が十年単位でかかることを受け入れて、耐えるか
どちらかしかないと思います
宗教は、実は後者です
師匠は独裁者ではありません
師匠には師匠がいて、長い系譜の中に私どもはいます
ここ十年程度の世相では簡単には動いてはならぬものです
逆にいうと全く変化しないわけではないのです
仏教はお釈迦様の時代のものとはもはや同じものはでないのです
盆暮れの付届けをせよ、とネパールのお釈迦さまが言うわけありません
作法は変わり得るとは言え、まずは「今の型」を受け入れなくてはなりません
合理性はあとです
それは、特に密教においては、密教が必ずしも、人を立派にしないからです
続きは次回に…