如何にして藤川はこうなったか④
ブラスバンドは高校で最後でしたから、このタイミングで書くことがあります
ブラスバンドの男子部員の激減は相当な勢いで進んでいるらしく、今、吹奏楽は女子がやるものという認識のようです
楽器の選択は指導者が割り当てることも多く、高校生になったら絶対フルート吹くのだ、と張り切っていた男子が、体格の良さゆえ、第六希望のチューバに割り当てられ泣いて帰って来たという相談もネット上でみました
何故男性が減ったかについての質問も多く、男子は運動系に行くからだとか、ギターが流行ったからという珍説もありました
しかし、そのような理由なら、真っ先に減るのは合唱団男子部員ではないでしょうか
そういうこともあるかもと思い、ネットで「合唱 男性減少」とかで検索してもそれらしい記事を検索出来ませんでした(吹奏楽は山のように検索できます)
男性減少のために混声合唱の編成ができない、などと言うことはどうも喫緊の課題にはなっていない様子です
これは何故でしょうか
今回初めて気づいた仮説なのですが、吹奏楽と合唱の決定的な違いがあります
合唱は男女の役割が厳然と存在し、かつ、そこに優劣が無い、と言う稀有な存在なのです
混声合唱を女性だけあるいは男性だけでやれるはずはなく、そのような欲求も存在しないと思います
さらに言えば男声合唱、女声合唱も存在し、好みの差はあっても優劣などありません
翻って楽器には男女の役割差はありません
トランペットだろうがチューバだろうが男女の差は無いと断言できます
普通に呼吸ができる人なら、肺活量などというものはほほ問題にならない
如何にして身体を、効率よく使うかであって、体格差は問題にならない
大きな楽器は運搬が大変ですが、そこで男子部員は奴隷のごとく扱われる、などの記述を見つけました
「男女で全く平等な世界において男性は排除される」
という恐ろしい仮説が頭に浮かびます
現在女性の活動になってしまった吹奏楽において男子は
1 男子が女性的とみなされることへの恐怖を感じる
2 女性、少なくとも集団の女性への恐怖を感じる
を仮説して見ても、そもそも男性のほうが多かった(金管楽器はそうだった)分野で男性が駆逐された現象は説明出来ないと思います
合唱においてこの現象が起こらないのは、男性の役割が担保されているから
もしかして、そのような世界は合唱にのみ残されたものかもしれません
オトコはヘタレで弱い
だから必死になって既得権益を
守ろうとするのだ
という仮説
海外にも吹奏楽はあるはずです
どうなっているのでしょう
男性減少は日本だけのことなのでしょうか
日本の吹奏楽はコンクール偏重という話もあります
そのことと、男性減少は関連があるのでしょうか
男女雇用機会均等法の施工時期と関連があるのかしら
社会学の、絶好の教材のように思います