如何にして藤川はこうなったのか⑨
合唱について、ずっと歌っていない私が言うのは生意気ですが、私についてはこうだった、それが今につながっているのだという話です
合唱の魅力は一つになれるということだと思いますが、微妙に解説が必要です
合唱団全体の音色が一つになるのが理想だという指導者がいましたが(栗友会以外ね)微妙に違うと思います
音程をそろえるのはそれなりに大変でそこは譲れない
しかし全体の音質はその人ひとりひとりが最も良い声を出すことが大事
その結果が全体の音になる
一人一人の声が聞こえて分別できてもよいと思います
そして音楽も私が歌いたいように自由に歌う、それが全体のパフォーマンスと矛盾しない
楽譜という縛りからは絶対に外れることはないのですが、そこに自由があるのです
一つになるというと外れたものを削ることになりかねない
そうじゃない
一人一人がフルフルパワーを発揮する
多分、集団で行うスポーツにもあると思うのですが、全体が一つの有機体になるような感覚(後述)
あぁ、これ合唱をやってない人と共感するの無理!
書けない
手順は決まってます
しかし、やらされている感が出てはダメ
手順がありながら自由というのがスポーツと違うところだと思います
器楽もそうなんでしょうが、楽器はそもそも音色がそれぞれ特殊なので「私」が「私」であることはやりやすいと思います
合唱は「私」を抑圧しないで「全体」になれる世界です
ここね、実はご祈祷と共通するのです
次第書というマニュアルがありながら自由である
つづく…