多様性は一筋縄ではいかない
教育現場においての多様性尊重に関するレポートです。
多様性というとすぐLGBTs…と短絡しがちだが、障がい、外国人、アレルギー対応、等々それこそ様々。
どうしても坐って授業を受けられない子がいて、それを個性として容認すると「何故あの子は許されて私はダメなんですか?」に対する明確な答えはない。
かくして学級は崩壊することがあるという。
一番短絡的な解決方法は、
「特別な対応の必用な子は、その子に合った特別な環境を別途用意してあげるべきだ」
という一見美しい理屈で、
その子らを「普通の子ら」から分離するべき
というものだ。
私はそれに反対だが、大勢の中に多様性を包摂するとしても、「不公平」の問題は大きい。
教員も多様だという指摘も重い。
多様性に対応するには、少なくとも多大なコストが必用になる。
この記事中の教師も保護者も生徒も善意に満ちている。
画一的な硬い指導がかつて学級崩壊を産んだ、そして、今、多様性の尊重が新たな学級崩壊を生じさせるという解説に愕然とした。
教員の権威の喪失という言葉も重い。
それ無しに学級経営は可能か。
宗教は何か答えを出せるだろうか?
最近読んだ記事のなかでも特に考えさせられる記事であった。
コメント欄も読むべき。
これ、「君はどう生きるか」宮﨑駿
のテーマでもあります。