種のない地面に、水やりをしても…

種のないところに水や肥料を施しても芽は出ません。

雑草は生えても、目的の花は咲きようがない。

ご祈祷は、しょせん、水や肥料、草取りなのだと思います。

死んだものが生き返ったりしません。

これは実は祈祷僧にとっては都合の悪い話でもあるのです。

種があるかないかは客観的、合理的に説明できません。

あなたには種はあります。あなたにはありません。

とは、わかっててもなかなか言えない、そもそもすぐにはわからない。

本当に種がないかを確認するすべもない。

才能のない人はしょせんプロにはなれない。
才覚のない人には経営はできない。
世の中にはどうしても子供が作れない人がいる。

等々。

亡くなったひとは生き返らない、ということでさえどうしても受け入れられない人がいる。

その人を責めることはできない。

しかし、どうしてもそれは時間をかけても、いつかは受け入れざるを得ないこと。

「できない」ことを納得していただくのも祈祷僧の仕事なのでしょう。

なかなかきついことです。

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