種のない地面に、水やりをしても…②
すこし、追記します。
水やりや肥料を施すのは、もちろん行者ではありません。
神仏です。
仏教では、神仏は全能ではないのです。
神仏も因果の外には出られません。
無理なものは無理なのです。
ただ、
何が無理なのか?
種はあるのか?
を、判断するのは行者ではなく、神仏だという視点も重要です。
どんなに無理難題でも通るものは通ります。
誤解を恐れずに言えば行者は、神仏に丸投げなのです。
ここで小賢しい人間の知恵など介在させない行者の方が験がでたりします。
偉大な行者は、えてして冷たく感じられるものです。
その行者の深い慈悲を感じられる者だけが、少し前に進めるというものです。