女女問題のトリセツ
黒川伊保子 編著
こんなこと書いちゃっていいのかしら?
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男の友情と、女の友情は違う。 そもそも、脳の存在意義が違うのだから。 男性脳は、基本、「仲間のために自己犠牲する覚悟」を持っている。群れで狩りをする動物のオスの掟だ。女性脳は、基本、「周囲に大切にされていないと命が危ない」という危機感を持っている。群れで子育てをする動物のメスの本能である。 他者のために生きる性と、自分のため(ひいては自らが身ごもって授乳してやる子のため)に生きる性と。 当然、前者同士の友情はスムーズで、後者同士の友情は暗雲垂れ込めるに決まっている。 世に、男の友情は美しく、女には友情なんて成り立たない、と言われる所以である。
……
私(藤川)は女性には公(おおやけ)が薄いと、感じていました。
女性の人類愛は身内の拡大。世界を覆い尽くすほどの愛でも決して身内は外れない。
男の自己犠牲の「自己」には家族が含まれてしまう。社会の為に家族が犠牲になることがある。(以上藤川の私見)
フェミニズムは黒川氏のような進化論的言及を大変嫌います。
性役割分業の固定化につながるからでしょう。
過去ではなく、あるべき姿を見よ、追求すべきというところでしょう。
科学、あるいは保守側としては、差異は科学的事実であり、100万年の人類の歴史の中で文明は高々5000年、そんなに簡単に変わらない。
違いを無視して観念的な理想を押し付けるより、違いを前提として社会を設計したほうが個々人もハッピーなのだという感じです。
遺伝と教育。
生まれと育ち。
という話です。
生まれで、いろいろ決まるというのは占いの話でもあります。
生年月日で人生の大半が決まってしまう、というは非科学的なことと、嘲笑の対象でしたが、案外、言っていることは科学者よりなのかもしれませんなぁ。
女と男の なぜわかりあえないのか
橘玲 著
によると、男女の、差異を強調する科学的論文は女性研究者が多いそうです。
(女性のいじわるの研究など…)
男性は言いづらいですよね。
かつて心理学の性差の研究は、差はない、ということを立証するものがほとんどでした。(私、心理学専攻でした。)
科学も、実は政治的な風潮に左右されるのかもしれません。