鹿の国 映画観てきました。
田端の「シネマ・チュキ・タバタ」というミニシアター
座席は20席しかない。(満席で私は補助いすになった)
他の劇場ではもう終わってしまったのだが、探すとやっている劇場がある。
東京はすごいところだ。
聖なる動物として鹿はよく登場する。
思いつくだけでも、鹿島神宮、春日大社、もののけ姫のだいだらぼっち、仏陀が悟りを開いた鹿野宛(ろくやおん)、映画「鹿の王」「聖なる鹿殺し」(ギリシャ神話に着想を得た必見の映画)…。
描かれるのは日本の古層だ。
仏教が入る前、動物を贄にして神に感謝する信仰があった。
仏教という外国の思想・宗教によって殺生を禁じられた。
日本の伝統の否定だ。
それでも諏訪大社は伝統を失わなかった。
そこで唱えられたのが、以下の諏訪勘文と呼ばれる唱え言だ。
業尽有情(業の尽きた生き物は)
雖放不生(放っておいても死ぬのであるから)
故宿人天(人に食べられて仏教を信じる人身になることで)
同証仏果(人と一緒に仏果を得ること(成仏)できるというものだ)
お諏訪さまで、鹿食免(かじきめん)・鹿食箸(かじきばし)というお守りがある。
この札を拝し、この箸で食すれば肉食しても罪にならないという。
昨今、国際団体から天皇家の男子のみの継承にクレームがついたが、そういう外圧は昔からあったのだ。
この映画は諏訪大社でかつて行われた「ミシャグジ祭政体」という神事の復活をめぐるドキュメンタリーだ。
かつて75頭の鹿の生首が生神(少年・大祝(おおほうり))にささげられたという。
現在でも三宝にささげられて生首がささげられる。
画面には生きている鹿が鉄砲で撃たれ、頸動脈を切られて鹿が痙攣するさまが映される。
鹿の角は毎年生え変わり数か月であのような立派な形に育つそうだ。
なるほど稲(あるいは小麦)の生命力との相似がある。
神話の世界 聖なる世界 は単純に美しく清潔な世界ではない。
見てよかった。
最初の画面に映るのは「諏訪大社は動物を殺すな」の横断幕。