選択的夫婦別姓に反対している人の理屈はそれほど強力とは思えない。
子供の姓が強制的に別姓になるというが、親の離婚、事実婚等、すでに事例は多くある。
外国人と結婚すればいまでも夫婦別姓は可能だ。
そもそも国が「家族の在り方」に口を出すことに違和感を感じてしまう。
 いや、違うのだ。
選択的夫婦別姓に反対している人が守りたいのは「価値観」なのだ。
実質や、不便の解消などではなく「家族」という「価値観」である。
違うパタンの家族があってもいいよ、というは「価値観」の破壊なのだ。
だから「選択的」であっても許せないのだと思う。
選択的夫婦別姓を導入したい人たちの主張は「不便だから」に行きついてしまうように思える。
「家族観」VS「不便」では「不便」に勝ち目はないように見える。

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