12月10日の薬師終いの護摩
今回の護摩はいつもとちょっと違いました。
重かったというか。
火を見ても、尊いもの、というより「苦しみが焼かれている」感じです。
護摩とは、実は「煩悩」を焼いているのです。
「お金が欲しい!」ときは「お金への執着を焼く」
「あの人と恋人になりたい!」ときは「その人への執着を焼く」
「病気が苦しい」ときは「苦しさへの注目を焼く」
執着と煩悩を手放した分、その分だけ何かが入る余地ができる。
「手に入ったら楽になる」のではなく「楽になったらいつの間にか手にしている」
今回、護摩の本尊檀という部分で3回、薪をくべるところを多分、4回くべてしまったように思います。(意識してではなかったです。)
燃やすものが多かったです。
その分最後の火伏は大変でした。
(あの方に手伝っていただきました💗。秘密。)
しかし、今回の護摩はその意味では護摩本義に根差していたようにも思います。
めでたし。
(女性がいる気がする)