④よりつづき
私どもにとって大峰奥駈満行とは3コースすべて歩き通したということです。
今年初めて歩いた人はまだ3分の1、満行にはあと2年かかります。
私は今回で4度目の満行でした。
(さり気なく自慢する藤川(笑))
さて、
昭和50年に三井寺によって再興された南奥駈道ですが、その時の福家英明先生(前の長吏猊下ですが当時はまだその御身分ではありません。)は大正14年のお生まれです。
ですから南奥駈を始められたときは50歳のときでした。
今でこそ道が整備されていますが(ちゃんとそこが山道であるとわかるということ。分岐点にテープが貼ってあるとうこと。)当時は、葦の高さが人の背ほどあるという状態だったようです。
ですから鎌を持って草を刈りながら歩いた、ということのようです。
私の師匠はその数年後に今回私どもが歩いた第二コースを歩いていらっしゃいます。
これは語り草になっていますが、今回私どもが16時間かけて歩いた山道を、師匠の一行は道に迷いなんと、25時間かかったとのこと。
真夜中1時に出発し、翌日の真夜中2時に到着ということです。
道が確定されていなかったのでしょう。
当時はヘッドランプもなく懐中電灯を手で持って歩く。
ペットボトルもなく水筒1つ。
おにぎり数個で25時間。
そういうご先達のお陰で今の道があります。
山道は整備し続けないと道でなくなります。
それは実はやまびこの会という、奥駈を支援してくださるボランティアの方々のご尽力の賜物なのです。
東京教区からの面々は普段会社等で働いている方たちです。
会社を4日休み、家族を残して、泥だらけになって帰宅する。
こうして私どもは様々な人々に迷惑とご負担をかけながら行をさせて頂いているのです。
夢々、自分は尊いことをしているのだ、と思い上がってはなりません。
行はさせて頂くものです。
行なんかしてすいません、です。
道楽なのです。
⑥に続く。