「放射性物質が通常の原子炉の水の約1000万倍の濃度」が「10万倍」に訂正された。

10万倍だから安心という数値ではあるまい。

御用学者という言葉がある。
権力者におもねり、権力者の都合のいいように真実を曲げて伝える学者というぐらいの意味だ。

テレビでは原子力の専門家と呼ばれる人たちが連日登場し、ずっと安全である、ただちに健康被害がでるレベルではないと、繰り返し訴えてきた。

彼らが政府からの要請を受け、実は危険だという事実を知りながら、うその情報を流し続けたとは思わない。彼らは彼らの良心と見識に従って発言してきたと思いたい。

しかし、事態は刻々と動き、核燃料を覆う格納容器から核燃料が漏れ出していることが明らかになった。

安全なはずだ、の「はずだ」はもはや当てにならない。

情報はデータを解釈した解説である。
上記の「1000万倍の濃度」はデータの発表かと思っていたが、ヨウ素の半減期を考慮した解釈付きの「情報」であった。解釈のエラーが1000万倍である。

原子爆弾のような核爆発が起こらないことぐらい私にもわかる。
しかし、放射性物質が海に漏れ、地面を侵し、空気を汚せば、それは「核爆発ではない」といったところで何の意味もなかろう

もはやこの事態において科学者の「解釈」に頼っている時期は過ぎたのではないか。
これは政治の問題である。

理系の学者の理屈を積み上げての発言にもはや私は寒々しい無力感さえ感じる。

http://blog.tatsuru.com/2011/03/16_1119.php

内田樹先生の「疎開」の提案である。
ご一読願いたい。