事後的にしか何が正しいかはわからない
絶対に正しい専門家がいてその人が正解を一つだけ示してくれる、なんてことはありえません
例えば、PCR検査をどんどん拡大すべきか抑制するべきか
正解は今はわかりません
事態が過ぎた後でないと何が正しいかったかはわからないのでしょう
私たちはよくわからない状況で何かを決めていくしかないと思います
それが学問と政治の違いでしょう
「いろんな考え方がありますね」では済まないのが政治だと思います
何をするかを決めるのは正しいかどうかでなく、信念や哲学、そして「常識」だと思います
状況や情報が変われば何をすべきかはどんどん変わるのでしょう
だから昨日決めたことと今日やることに矛盾があってもいいと思います
組織が大きくなればなるほど「間違いを認めること」は困難になるようです
文明論にまで話が広がりそうです
このプレッシャーは哲学を大きく変えると思います
ああ、ギスギスするのはやだ。亀でも見て落ち着こうと思います
ただ、亀って毛がないのでモフモフできないのがちょっと不満です
詰まったとき、なにも考えずに「大丈夫」と言ってくれる存在は大事ですね
追記
なぜ決断したかは決断した人しか語れないはず
その理由に力があるかどうかは、誰にだって伝わる
その力(発信者も受け取る側も)は「知性」とはまた別のものだと思います
何をするかを決めるのに「志」を追加します