僧侶と女子力⑥
師匠を選ぶ権利は弟子にあると書きましたが、もちろん師匠はそれを拒否することができます
師匠から去る権利もあると書きましたが、もちろん師匠に追い出されるパターンのほうが多いでしょう
逆に言えば弟子には、これ以外の権利は何一つないのです
やめて違う師匠を探すとします
それは外部からは追い出された、としか認識されません
あの○○先生のところを追い出された△△さんという烙印はついてまわります
○○先生が、たとえあまり評判がよろしくない方であっても、もう、そこの手垢のついてしまった△△さんを新たに弟子にしてくれる新たな師匠が現れるかどうか
この、世界はとても狭いです
評判は瞬く間に広がります
☓☓さんが、あのときに持ってきた祝い金は□万やて、いくらなんでも少なすぎるわ、などという話まで筒抜けになります
ひどい話と思うかも知れませんが、そうやって私どもは鍛えられるべきなのです
私のこの文章も多くの僧侶の方々が見ているはずです
私も十年前にブログを書いていた時期がありましたが恐ろしくてやめていました
■■さん、あなたのブログもチェックされているのですよ
このあたりの感覚は在家からあがってきた私どものようなものにはとても伺い知れぬものです
師匠を大事にしなければなりません
甘くないのです
私どもは、祈祷寺院でありますから、葬儀法事で経営している寺院(滅罪寺院といいます)に比べればまだこのあたりの縛りは、薄いかもしれません
挨拶とお金の使い方はとても重要です
そこには器量が必要です
ここは娑婆ではないのです
世間とずれている、というのは何の言い訳にもならないと覚悟すべきです
女子力大事でしょ
ねぇ