多様性は孤立化を生む
添付の記事は、アエラの、若者がことさらにコロナのことで批判されることへの理不尽さを指摘する内容ですが、私はそのなかの孤立化する若者という話がとても心に残りました
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客観性の裏側には、生き方が多様化して若者の孤立化が進んだことがあるという
「近年は出自が多様化し、またそれが顕在化したことで、他人と自分は異なるものだという感覚が強まっています。さらに、コロナ禍では集まって相互理解を深めることもできません。自分が何かの代表という意識を持って発言することはますます難しい状況です」
(出典:AERA dot. )
アエラの記事全文はコチラからご覧ください↓
https://dot.asahi.com/aera/2021022500020.html
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多様性は孤立を生む!!
私が多様性の強調に対してなんとなく感じていた違和感をピンポイントで示してくれた言葉です
男であること、女であること、日本人であること、学歴等々、大雑把なアイデンティティはどんどん否定され、あなたは特別なユニークな存在であることを強調される
あなたはあなたであって他の何者でもない、という美辞麗句の影に「孤立化」が隠されているという指摘!
SNSによるコミュニケーションは1対1に集約され、「私達」という意識はますます希薄になっていくという指摘
違いを認めあって連帯する、というのは普通の人にとっては離れ業ではなかろうか?
というのが、私のくすぶった疑問です
追記
私のことをよく知る人が納得してくださるだろうことは、私は、性格も生活も生計の立て方もとてもユニークだということです
それは私が孤立を恐れないことに裏打ちされているのです
行者に求められる重要な資質です
少なくとも私はそう教わりました
私の生き方をとても普通のひとには薦めてはならぬ、という思いがあります
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修験道は違うのかも知れません
日光修験も羽黒修験もグループでの活動がとても重要視されるのを見てきました