アイム・ユア・マン 映画評
ドイツ映画です。
原題 Ich bin dein Mensch
主人公は古代楔形文字の研究者アルマ(女性)
彼女は、あるプロジェクトの実証実験のために3週間のモニターに選ばれます。
その実験とは「アンドロイドと恋愛が可能かどうか?」
そのアンドロイド・トムは彼女のデータをもとに外見も台詞も彼女用にカスタマイズされた完璧な男性として現れます。
1700万人のビッグデータをもとにトムはアルマに様々なアプローチを仕掛けますが、最初は、聡明なアルマにとってはあまりに陳腐な誘惑に、彼女は拒否反応を示します。
しかし、トムはその反応を分析し、次第に自分のアルゴリズムを自らアップデートしていきます。
アルマは最初から最後までトムをアンドロイドだと認識し続けますが、次第に彼をまるで人間のように扱ってしまっていることに当惑します。
トムはアロマの研究についてある重要な指摘を行い、アルマはその的確さに深く傷つき、打ちのめされ、そしてその後、自暴自棄のアルマはトムと男女の仲になります。
アルマはそれでも冷静さを保ち、トムに関するモニターのレポートに「このようなプロジェクトは許されない」と記しますが…
ラストシーンでは今後も二人の関係は続いていくことを示唆して終わります。
全編にわたってCGはごく一部で、とても落ち着いたタッチで物語は進みます。
一切の恐怖シーンはありません。
むしろユーモアさえ漂います。
しかし私はこの映画を大変恐ろしいと感じました。
アルマは、「このようなアンドロイドはすべての人間の孤独をいやすであろうが、そこに人としての成長はない」と指摘しますが、結局はそのアンドロイドの完璧さに飲み込まれてしまいます。
アルマが幸せならいいじゃないか…。
トムは詩や隠喩、そして「怒り」まで駆使してアルマを誘惑します。
これは未来の姿ではなく、今の現実かもしれない。
私たちはネットにあふれる情報をもはや自分の意思で選択していないかもしれない。
自分の好きなものだけを選択的に提示され、私たちを傷つけ、対立するような情報から遠ざけられているのではないか?
それはとても快感で蠱惑的でトムそのものではないのか?
エクス・マキナ(イギリス映画)もAIを扱った秀作でしたが、ここには直接的に恐怖がありました。
しかし、アイム・ユア・マンはほぼ甘美な恋愛映画です。
私たちはこれを良しとしてしまうのではないか?
私たちは知性では、この誘惑に対抗できないのではないか?
これは外してはならない映画だと思います。
(でも、そろそろ上映終わり)
追記
最後の方で、アルマは、ある風采のあがらない60代前半の、おそらく全く女性と付き合ったことのない男性とアンドロイド(女性型)のカップルを見て、我に返ります。
自分もこの男と同じだ。
それでも結局は逆らえないのです。
ドイツ語が美しい