しきたり
世の中には「しきたり」というものがあって、例えば、冠婚葬祭の作法があります。
昨今、しきたりは非効率なものとして軽視されがちですが、寺にはそれが色濃く残されています。
私は、非伝統の寺の祈祷僧ですが、ほとんど人に見られることを意識せずにここまで来てしまいました。
しかし、寺の護摩壇を公開などすると、仏具の荘厳などについて間違いをご指摘頂くことも多々ございます。
私は先日61歳を迎えましたが、まだお叱りを受けることがあるのは大変ありがたいことです。
私は、効率を追求し、システマチックに仕組みを考えるのは好きですが、「しきたり」はその思考方法では歯が立ちません。
知識と実践の積み重ねが必要で一朝一夕で身につくものではありません。
いま「しきたり」に対する評価が低すぎると思います。
作法やマナーは理屈抜きに叩き込まれ強要されるべきものです。
還暦過ぎて身につけるのは大変ですが、これからも、ご指導ご鞭撻をお願いいたします。
あぁ、吉良上野介に叱られる浅野内匠頭の気分。
決して刃傷にはおよびませんが、私は叱られて延びるタイプなので精進いたします。
そしていつかお局様として君臨したいと思います。(苦笑)