わたしの友人にトランスジェンダーの人がいます。

元男性の彼女は、数年前に手術を受けて、身体的にも女性になりましたが、その前から、外見は完全に女性でした。

彼女が男子トイレに入ったとしたら逆に大騒ぎになったのではないかしら?

依田花蓮氏(新宿区議会議員)、上川あや氏(世田谷区〃)などの写真を拝見すれば彼女たちを元男性だと思う人はほぼいないと思います。

彼女らと一緒の職場の人たちが、彼女らを女性と自然に受け入れれば、トイレの問題もおのずと解決するような気もします。

問題は、どう見ても女性に見えない人たちだと思います。

理由は「気味が悪いから」「怖いから」

これは切ないだろうと思います。

この問題は実はアメリカなどでは黒人差別の歴史と絡むところがあって、黒人用のトイレ、乗り合いバスなどがあったわけです。
アメリカでは白人が黒人とセックスすることは倫理に反するとこととされました。
どんなに愛情を感じたとしても家畜とセックスするとは何事であるか、という理屈です。

アメリカはそういうレベルで黒人差別に対する取り組みがあった。

トランスジェンダーのトイレ問題もその系譜とつながっているのかもしれません。

ただ、

女性がトランス女性がトイレに入るのを忌避する気持ちももちろん理解できます。
トランスジェンダー側からもこれに対する積極的な反論は出ていないように思います。

しかし、そこで忌避され、想定されるのは抽象的な概念としての人物であって、具体的な個人を思い浮かべることのできる人は少ないでしょう。

世の中がこのことでヒステリックになっているのはとても違和感があります。

このようなことは極めて具体的で個人的なことであり、それはまさにその現場で知恵を出していくしかない問題だと思います。

その意味で「職場と同じフロアの女子トイレをつかってはならぬ」という「規則」を違反とした最高裁の判決を、私は支持します。

昨今の反応は、LGBTQについてなんとなくもやもやしていた人たちが、彼らを攻撃できるもっともらしい理屈を手に入れて、ここぞとばかり攻撃している。
という図に見えてしまいます。

「だれでもトイレ」に入ればいいじゃないか、というだけでは何故済まないのか。
ちゃんと考えていきたいと思います。

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