調える(ととのえる)
きりんさんとのお話。
良いことが起こり、禍々しいことが起こる。
祈祷とは全てが平らかになることを願うことではなく、調えること。
これは大難を小難に変換することとは少し違うようだ。
難には難の深い意味があり、それは必用なものだと納得すること。
ここで、
「整える」は「あるべき形」に戻すこと。
「調える」は「あらまほしい姿」に成長させること。
全てが「整い尽くす」ことはありえない。
全てが、停止し、あるべき姿に留まることはありえない。(水火既済)
どのように最善を尽くし、事態が改善しても、必ず何らかの不都合が起こり、永遠の「調う」が連続する。
この「調う」ことの連続が宗教であり、祈祷であると。
この意味で、先に書いた学級崩壊の話は優れて宗教的な話であったのかもしれない。
難には難の意味がある。
例えば、子供は親の業を背負って生まれることがあるという。
その子は親に逆らい、育てにくいこととなるだろう。
しかし、その子は神の子なのだ。
運が悪いとは、私を守ってくれるバリアが壊れること。
しかしその状態でなければ動かない事態があること。
バリアがなくなって禍々しいものが侵入すると同時に聖なるものとリンクするチャンスも生じること。
そこで生まれたものたちが隙間を埋めていく。
それが「調える」ことだと。
悪いこと「業」をなかったことにすることは、祈祷ではなく、ましてや宗教でもない。
祈祷に「整える」(あるべき形に戻すこと)を求めてはならない。
祈祷は「調える」こと。
今とは違う何者かになるしかないのだ。
上記をFB投稿した際のコメント欄でのやり取りも転記します。
(きりんさま)
本日はありがとうございました。
>運が悪いとは、私を守ってくれるバリアが壊れること。
こちらの補足。
どうしてバリアが壊れるとされるのか。
そもそもに運の気流(何かしらのリズム)があると考えます。
(波長や波動と称されるのはこれ)
自身の運勢というのはまさにこのリズムに個人の個性が様々にあります。
そのリズムが年の動きや月の動きで小さく大きくもしくは、不規則に変動します。
そして世情世間の運勢(運氣)もまた独特のリズムを複数多数複合的に鳴らしています。
その中の何かしらの一定のリズムに自分が添っていれば、もしくは合いの手を入れるようなリズムであればその曲調の中に生かされ、自分を思い切り使いこなせる環境になります。
これが良い運氣の流れのリズムです。
そしてそれに寄り添えない自分の運氣の時は、いずれの場面でもズレるのです。
ズレれば、ズレるほどに違和感と不協和音が広がり、なかなか周囲とのバランスがとれず摩擦や衝突が起きるのです。
さらに、マッチングしないリズムには神経や体力を使い奪われる感覚になるので、一気に精神的にも集中力や注意力が散漫となり、隙が生まれて様々な不運や不慮を得ることとなります。
これがバリアのなくなった状態とし、
リズム感の悪い運氣で芳しくないとするのです。
合わせ辛い難いリズム環境は自分の運氣の流れが変わればまた修正されることもありますし、
違うリズムの場所に移動(転職、転校、離婚、結婚、独立など)しても良いのです。
もしくは、間に誰かの別のリズムが仲裁仲介してくれることもあります。
それが親密度関係なく出会う人間や友人、親子、夫婦関係だったりです。
喧嘩していた夫婦の間を取り持つ子供やペット、なんていうのは典型的なパターンでしょう。
いつもずっと同じ人(仲裁仲介者)であることもあれば、一定期間だけ一緒に居て、やがて離れ、また何かの時にまた似たようなひとと出会うのか、もしくはまた同じ人と再会するのか。
そこは日々の自分の調いによってもたらされる副産物と考えるのが良いと私は思っています。
いずれにしても、何事も自分のリズムと他者(環境のすべてを含む)リズムの最大公約数と最小公倍数、などのマッチングが自分を上手に生かす生き方を得ることが可能という感じでみると良いでしょう。
まだまだ言葉が足りない部分が大きいですが、ご参考にしていただければと思います。
(藤川)
き りん さま
ありがとうございます。
リズムでしたね。
波動という言葉にもつながると、仰ってましたね。
そうそう。リズム感、音楽的素養がないとご祈祷はしづらいのではと思うことがあります。
きりんさんの言葉はそのままではなかなか入らない。染み込ませるのに時間がかかります。
味わいます。
本田さんが、同じことを仰ってましたので私は少し安心しました。(笑)
(蒲生さま)
「今とは違う何者かになる」とは、精神療法にも通じると思います。
治す以前に、調えることが肝要です。
(藤川)
蒲生裕悠 先生
きりんさんの話を私なりに理解してまとめてみたのですが、ズレてないですかしら?
蒲生先生がコメントしてくださり心強いです。
by 口数が少ない【✓】
(蒲生さま)
「調」には、物事の進みという意味もあります。
陰陽もバランスが大事と勘違いされておりますが、実は陰から陽、陽から陰へ滞りなく進むことが大切です。そういう意味では、「調う」が連続するというのは的を射たお話だと思います。
(藤川)
蒲生裕悠 先生
運動は続き決して完成しない、興味深いです。
易ですね。
〉バリアがなくなって禍々しいものが侵入すると同時に聖なるものとリンクするチャンスも生じること。
を追加しました。