名言シリーズ
「本当の自分」とは、頭上のどこかに、星のように輝いていて、長い修行の果てに私はそこにたどり着くという考え方があるが、それは間違っている。そうではなくて、いまここにいる私の、自分では見たくないような姿を、苦しみながら見据えていこうとするそのプロセスのただなかにおいて、「ほんとうの自分」は、そこで発見される自分とそれを見据えようとする自分の総体として、そのつど立ち現れて来るのである。
宗教なき時代を生きるために
森岡正博 著(1995年著者37歳)
p212-213
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私もそのように思います。
お経を読んだり山に入って修行をしたりすれば、そのまま人格が磨かれ、よりよい、そうなりたい自分が形成される、などということはありえません。
もし修行に意味があるとすれば、神仏の不思議な力によって、そのような「見たくない自分」を否応なく突きつけられるということだと思います。
特に僧侶を目指すとはそういうことだと思います。
つまり、修行すると不幸になるのです。
楽になってなるものか!です。
このことに耐えられない人は本格的な行はなさらないほうが無難であります。