師匠が、師匠の師匠(大先生(おおせんせい)と私たちはお呼びします)とかつてこういう話をした、ということを伺いました。
大先生:君は死んだら次はどこに生まれるのかい?
師匠 :極楽に生まれたいです。
大先生:地獄に行くかもしれないよ
師匠 :先生、修業をしても地獄に行くのかもしれないのですか?
大先生:地獄に落ちるのと行くのとは違うのだよ
そこに助けを必要とする者がいれば、地獄でも、餓鬼界でもどこにでも行くのが菩薩というものだ
このような会話だそうです。
行くというのはその世界に生まれるということで、ときどき立ち寄るというものではないと思います。
私たちは修業した結果、地獄や餓鬼に生まれ変わるということがあるというのです。
いま、地獄にいる人たちの中にはそういう菩薩がいるのかもしれません。
東北の現地の情報は実は私たちのところに正確に届いていないという話を聞きました。
腐敗臭がひどい、ウジがわいてまるで小山のようである、という話を聞きました
御遺体の指が切り取られているものがあるといいます。
指輪を窃盗する輩がいるというのです。
強姦や窃盗団が実は跋扈しているという話も聞きます。
まさに鬼、夜叉がいる世界です。
いっぽうで多くの人がそこでボランティアで働いていらっしゃいます。
そこに多くの菩薩がいると信じたい。
私たちは難しい話の前に、まずは現実に対処する必要があります。
それを現世利益と申します。
しかし、いくら手を伸ばしても助からない現実もある。
そこで初めて仏法を説く必要とタイミングがあるのだと思います。