天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄

が六道と呼ばれる世界で、前世の業(行い)に従ってそれぞれの世界に死に変わり生まれ変わるというのが輪廻の世界です。

天界の住民は大変な長寿で、自在に空を飛び、快楽に満ちた世界とされます。寿命は最低でも九百万年だとか。(あんまりうらやましくないです)

しかし、天界もまた輪廻の世界であり、苦しみの世界とされます。

なぜか

天人もいつか死ぬからです。

天人が死ぬ前には天人五衰(てんにんごすい)といって五つの兆しが現れます。

1.衣服が垢で油染みる
2.頭上の華鬘が萎える
3.体が薄汚れて臭くなる
4.脇の下から汗が流れ出る
5.自分の席に戻るのを嫌がる

そろそろ加齢臭の出てきた私としては、この程度でいったい何が問題なのかと思いますが、天人にとってはこれは死の前兆なわけです。

この天界での死の恐怖の苦しみは地獄の苦しみの16倍といいます。(いちいち数字が出てくるのはインドっぽいですね)

天界は私たちの周りではビルゲイツやらアラブの大富豪やらイギリスの王族や日本の皇室の人々といったところでしょうか?

彼らの苦しみは持っている財産や名誉を失い、死ぬことだけではありません。

彼らは力が強大で広範囲であるゆえに、失敗やちょっとしたことが大きな影響を周りに与える。私たちが歩きながら知らずに蟻を踏みつぶすようなものです。例えば、総理大臣の失敗の影響はまことに大きく、普通の人よりも大きな悪業をつくりやすいと言えます。

また、恵まれすぎているということは謙虚さを失うことでもあります。

今日、八千円のランチを食べ、自分専用の高級外車を乗りまわす田園調布のマダム達がテレビに出ていましたが、あれほどに恵まれていれば、弱い立場の人に対する共感も薄いでしょうし、苦しいゆえに神仏を頼むという気持ちも起きないでしょう。

おのれの苦しみに向かい、それを乗り越える過程において神仏に頼むということがない、これは、仏教との接点がとても薄いことを意味します。

ここはとても重要です。

苦しみをのりこえるには宗教は唯一の解決策ではないと感じるひとも多いでしょう。
哲学や自助努力こそが重要だと思うひとも多いと思います。

仏教の立場からすると自力ですべてを解決しようとするのは傲慢なことです。
かといってすべてを神仏に預けてしまう絶対他力も実は大変に厳しい道です。

すべてをお任せするということは、あらゆる現実をありのままに受け入れるということです。どんなにお金がなくても、病気でも、孤独でもそれはそれで安心できるという境地には誰でもなれるものではありますまい。

ですから現世利益というものを私たちは大切にします。

現世利益は私たち衆生が神仏の世界に結びつく非常に大切で貴重なきっかけです。

現世利益をまったく必要としない天界の人々はもっとも仏教の教えから遠いと言えます。
このことこそが天界が苦しみの世界であることのもっとも大きな理由といえましょう。

こう書いていくと、私たちの周りにいる一見とても恵まれている人たちのことをそんなにうらやましく思わなくなってきませんか?

苦しみがあるからこそ救われる。なかなか納得するのは難しいですね。

この納得ができれば悟ったということだと思います。