天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄 の六道のうち、畜生・餓鬼・地獄を三悪道ともうします。

畜生とは動物の世界であります。最近は生まれ変わったら飼い猫になりたいなどという人もいて、また大自然の世界などともうしまして、もしかすると動物の世界のイメージはそれほど悪くないのかもしれません。

しかし、畜生とはまずは弱肉強食の世界であります。いつ食われるかわからない恐怖の世界です。餌が手に入らなければ餓死するのみです。

また牛馬のごとく働くという言葉のあるように、おのれの意志とかかわらず使役される世界でもあります。

畜生の世界とは欲望がむき出しの世界であり、自由意思がなく、もっとも知恵から遠い世界であるといってよいかもしれません。

仕事がなく、意志が通らず、ひたすら低賃金で劣悪な環境で働かされる昨今の一部の労働者は畜生界の存在と似ているのかもしれません。

生きることに精いっぱい、ただ、食べるため、寝るためだけに生きざるを得ない存在は、まことに苦しく哀れな状態でしょう。

一方で、自分はいま、畜生の状態に落ちているのではないのか、他人への施しや愛情などを考える余裕がなくなって、自分の欲望のためだけに、がつがつとしていないか、反省しなくてはなりません。

もしそうなら、三悪道の畜生界に落ちているのかも知れません。

先ほどの飼い猫の話ではありませんが、畜生の世界の中でも、上下があって、ただひたすら食われるだけの弱小の存在から、食う側として君臨するもの。

龍神や麒麟(きりん)などは畜生界の王ともよべる存在です。

法華経のなかに、法華経の功徳で竜女が瞬く間に解脱し成仏する場面がありますが、これは女性+畜生+幼子といった悪条件の存在であっても(もろ女性差別ですが・・)成仏できるほど、法華経の功徳は大きいことを示すエピソードですが、

どんなに力を得ても、たとえ百獣の王であっても、知恵がなく、おのれの欲望の追求のみに生きていればそれは畜生道なのでありましょう。

六道の解説で畜生界の説明はさらっと短く終わることが多いのですが、実はよくその内容を吟味する必要がある世界だと思います。

私たちの生活の中に地獄も餓鬼も畜生も存在しうるのです。

そしてその三悪道にいると気がついても、そこから救われる仏の世界もまた三悪道の中に内包しているというのが十界互具(じゅっかいごぐ)の教えです。