信者さんから、お知り合いの方のことでご相談があった
その方は家庭にトラブルを抱えているようだが、ある霊能者に「女性が供養されていない。それが原因である」と告げられたという。調べてみると実際にそのような女性がいたことがわかり、供養したようだ。
さらにその霊能者は「生まれた子はその因縁を引きずっており、養子に出さないと家に災いをなす」と予言していたという。
驚くべきことに、事態はその通りになったようである。
ただ、残念なことにその霊能者の言に従って供養はしたもののトラブルは解決しなかったようだ。
そしてそのお知り合いの方は、様々な霊能者や、祈祷師にアクセスしまくり、ついに私のところにまで連絡をつけようとしているらしい。
幸いなことに、私の信者さんはそのお知り合いに直接私の連絡先を教えるようなことをせず、こういう人がいるのですが、とワンクッションを置いて私にお尋ねしてくださったわけである。
「先祖の因縁」を私は否定しない。私も実際に、過去の苦しい死に方や忘れられた故人のために墓参りや供養をお勧めすることがある。
恨みや怨念は、その人に対する罪悪感や憎しみとして家族に代々受け継がれる。
姑にいじめられた嫁や、母に虐待された子供、離婚され無視され死後まで供養されないような女性など、つらい経験は家族というシステムのバランスを壊し、苦しめた当人がたとえそれを忘れても、その苦しみは突然、何代も離れた子孫に現れることはよくあることだ。
例えば、母親が嫌いで母のことなど思い出したくもない娘が、自分の生んだ子を育てるとき、たとえどんなにその子をかわいがろうとも、その家庭において一切おばあちゃんの話が出ないという事実だけで家庭のバランスは崩れる。
先祖の供養は、まずはその方の悲しみを共有し、許しを請い、慰め、お金と時間をかけて反省を外に表現することである。
まさにそれはトラブル解決の始まりに過ぎない。
先祖の祟りをトラブルの原因とのみとらえ、トラブル解消のために霊能者に金を渡して厄介払いをしたいという心構えでいる限り問題は解決しない。
引き継いでしまった因縁を解消するのはまずは当事者である自分自身であるという覚悟がないと状況は変わらない
拝んでもらって一発解決などということは決して生じない。
しかし霊能者ショッピングを始めてしまった人に、この話はまず通じない
私のところに電話してくる「あちこちの霊能者や祈祷師にお話しをしたのですが駄目だったのです」という人には「一度来院してきちんとお話しを聞かせてください。仏さまに手を合わせてください」と必ず申し上げるが、ほとんどの人はもう連絡してこない。
なかなか難しいものだ。
御祈祷はその人の覚悟をバックアップするものだ。
不思議は起こるけれども、治りたい気持と養生なしには薬は効かないものだ。