先日、「52days 子規と漱石」というお芝居を観に行きました

そこでの台詞です
子規が漱石にいう言葉です

「人生を受け入れるとは、望みを捨てることだ」

子規が西洋の点字教育について語る場面です

西洋では目の見えない人の為に「点字」という指で触って読む文字がある。点字の習得の早さには個人差があって、どういう人が覚えられないかというと「将来、画期的な治療法や新薬が発明され、いつか目が見えるようになるかも知れない」と考える人たちだという

いつか治るかも知れない、と思っている人は、点字という新しいものを受け入れられない

現状を受け入れ、次の段階に進むためには一度絶望する必要があるというのです

大変ショッキングな台詞でしたが、その通りだと感じました

通常、困難を切り抜けるためには、諦めない、望みを捨てないことが強調されると思います

しかし、現状を受け入れ、次のステップに進むためには一度、希望を捨てよ、というのです

病気を治したいとき、治療法Aを試し、治療法Bを試し、C、D、と巡るよりも、「治ること自体を諦める」ことで、その人にとって最適な生き方(あるいは死に方)が見えてくるかも知れないという指摘です

目が見えないなら「なんとか見えるようになりたい」を諦め、視覚以外(例えば点字)で情報を得ることを考えよ、というのです

これは幸せに生きるためには、眼前の解決しなくてはならない問題そのものを変換せよ、ということかも知れません

子供が引きこもりなら、そのこと自体に執着せず、家族がハッピーになることが目的です

子供をなんとしてでも外に出すことだけに注力してしまうと、上手くいかないかも知れません

しかし、心に刺さる言葉ではありますが、現実に応用するのは難しそうです

親に暴力を振るわれる子供や、末期ガンの患者に、暴力や死を受け入れよ、と簡単に言えるはずはありません

特に昨今は諦めるのは難しくなっています

次々と新しいテクノロジーが開発され、情報を広範囲に求めることができる今、諦めることは難しそうです

執着を捨てるのは、ますます難しくなっているようです

執着を捨てない限り、次のステップには行けないことには以前から気づいておりました

しかし、執着を捨てるとは現状に絶望することだ、と言い換えることは、たとえ真実だとしても恐ろしい

深く味わうべき言葉だと思います

一度、絶望しないでは次に進めないかも知れない

私たちは、絶望する勇気を持つべきかも知れないのです

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

なのです

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