死はプロセス
本日久しぶりにご法事(四十九日)に伺いました
四十九日の法話でよくするお話です
七五三とは本来子供の厄年なのだそうです
お子さんの健康上要注意の時期だそうです
この時期をよく乗り切ってくれた、というお祝いが七五三のもともとの意味だと伺いました
人が生まれて18年くらいで生のピークを迎えそのあと命の坂は下り続け、生が尽きて死を迎えます
実は死も同じなのです
死は亡くなった時が始まりで、だんだん死が深まっていく
七五三のように、三回忌、七回忌があると考えてよろしいと思います
16年(十七回忌)あたりで死のピークを迎え、そのあとはあちらの世界で、少しずつ生のエネルギーがたまっていく
変な言い方ですが、だんだん死んでいくのです
死はその意味で大きな輪の一部でありプロセスの途中のある一点です
その間、お浄土で魂の修行をするわけです
そして死が尽きると、また生まれてくる
また私どもを教化するためにこの世にまた戻ってきてくださる
生きた子供に世話が必要なように、亡くなった方にもお世話が必要なのです
なくなった方はもう身体がありませんから、声に出してお経を読むことがかないません
だから、私どもが代わりに声をだしてお経をお届けします
その声の入り口がお位牌です
お位牌に向かってお経をあげれば必ず故人に届いています
そのうちお返事も返ってきます
そうやって何年もかけて人が亡くなったことを受け入れていけばよいのだと思います