五大願について
(以下、仏教用語頻出です。すらすら読めない方が大半だと思います。ぜひ頑張って調べましょう。)
これは「豆」知識とは言えないです
私の尊敬する曹洞宗の和尚さまはこれを知らなかったとおっしゃってましたから一般の人はなおさらご存知ないでしょう
四弘誓願(しぐせいがん)のほうが顕教では一般的です(ネットで検索してくださいね)
密教では五大願(ごたいがん)といいます
(顕教、密教という用語も本来解説が必要ですが割愛)
ご祈祷のときよくお唱えします
願っているのは悟る前の如来と考えて良いかと思います
五大願
①衆生無辺誓願度
②福智無辺誓願集
③法門無辺誓願覚
④如来無辺誓願事
⑤無上菩提誓願證
①しゅじょうむへんせいがんど:
生きとし生けるものの数は限りないが、誓って救いとることを願う
②ふくちむへんせいがんしゅう:
福智と智慧とは限りないが、誓ってこの身に集め具えることを願う
③ほうもんむへんせいがんがく:
み仏の教えは限りないが、誓ってさとりを達成することを願う
④にょらいむへんせいがんじ:
み仏の数は限りないが、誓ってそのすべてに仕えることを願う
⑤むじょうぼだいせいがんしょう:
み仏のさとりは無上のものだが、誓って実証体得することを願う
密教に多少とも興味があるなら知っておくべき偈文です
●前回、差別が絡む文章を書きましたが、それに絡んで、最初の
①衆生無辺誓願度
が最近身にしみるのです
衆生は無辺なれども誓ってこれを度す(救う)ことを願う
全てを救うことは不可能だけれども、それでも私(如来)は、全てを救い尽くすことを誓う
かっこよくないすか?
病は決して無くならないけれど、私は治療をあきらめない
貧困は決して無くならないけれど、救済を誓う
差別は決して無くならないけれど、差別の根絶を誓う
などなど……
○○は決して無くならないけれど
ここが見えていない人は軽い気がすると言うのは傲慢でしょうか?
現代語訳の部分は以下のサイトより抜粋して引用させていただきました
https://kyonoreijo.sakura.ne.jp/lib/kg/libkg4-5sg.htm