1. 結果には原因がある。

仏教の重要なテーゼの一つ。

この当たり前に思えること、科学的と見えることが、何故宗教的なことなのか。

よくわからなかった。

例えば一神教だと、全知全能の神が全てを取り仕切る、という考えであって、原因と結果の連鎖ではない。

このことは、仏教が絶対神の否定の上にあることの証左であるが、それは宗教的な内容なのだろうか?

最近思うのは、

良い行いは良い結果を導く。

悪い行いは悪い結果を導く。

それは死後の世界に及ぶ。1

ということ。

ズルをすれば金が儲かる。

人を蹴落とせば出世する。

これも原因と結果、因果応報だと強弁することも可能だ。

でもそうはいかないよね、というのが仏教的なことのように思える。

善悪の判定を神の手に委ねないという態度だ。(閻魔さまはいますが…)

そのことは、死後の世界、輪廻転生を前提とする。

翻って、現世では善人が苦しみ悪人が栄えることのほうが普通ではないかとさえ思える。

しかし、死後にわたって因果は続く、ということを納得出来れば、因果応報は救いとなる。

宗教が失われればこの安寧は消える。

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