先日、ある方の相談にのっていて、人生の目的ってなんでしょうと聞かれました。

いつもは、「そういう問いが出るときは弱っている時です。今するべきことが具体的にあって体力・気力が充実しているならば、そもそもそのような問い自体出てこないものです。まずは身体を休め、気力を充実させることを考えた方がいいと思います。」と言います。

これは実際その通りなのですが、この問いを問わない人、無視し続ける人というのも、通るべき道を通っていない人のように思えます。中年期というのはこの問いが頭をもたげる時期です。青年期だけでなく、中年期にも危機があって、特に40歳を超えたあたりでこの時期を迎える人が多いように思います。

私は占いをするお坊さんですが、この相談者は、もしかしたら「オーラの泉」の江原さんや美輪さんのようなご神託を私に期待していらしたのかも知れません。実は、私はあの番組のファンです。残念ながら私には彼らのような特殊能力はありませんので、あのような神がかったことは言えませんが、相談者の質問には正面から取り組もう心掛けています。

「前世」を語ることは、なにか人を惑わすようないかがわしさを感じるさせるかも知れません。そもそも「前世」は検証不可能であります。あなたの前世はこうでしたと言われても確認する術はありません。私はもちろんそのことを承知の上でこれからのお話を展開したいと思います。(実は輪廻転生は仏教の大前提であるというのが師匠の教えですが、その話はまたいずれいたしましょう)

「オーラの泉」を科学的根拠がないと一蹴するのは簡単ですが、あの番組に登場するゲストたちのほとんどがなんらかのカタルシスを得て変容していくのも事実です。「生きる目的」を語るために「前世」の話がなされます。前世は今世のありかたを方向づけるものとして語られることが多いからです。

前世の話には二つのパターンがあるように思えます。

1.今世は前世でやり残したことを完成させるためにある

2.今世は前世で体験した価値と反対の価値観を体験することで人間全体としてのバランスを獲得するためにある。(例 前世は男性として荒々しい生き方をしてきたので今世は女性に生まれて優しさや柔軟さを身につけることが必要だ。等)

1.のパターンの人はある意味単純です。もう今世でやりたいことがはっきりしていてその為に日々邁進しているのでしょう。おそらく迷いも少なく「人生の目的ってなんでしょう」という問いそのものが希薄ではないでしょうか。

私は2がとても重要だと考えます。これは私たちに深い洞察をもたらしてくれると思います。

私はこのことを考えるうえである本を読みました。

「前世ソールリーディング、あなたの魂はどこから来たのか」 ジャン・スピラー著

この本は生年月日がわかるとその人の前世の様子と今世での役割、得意不得意な点、生きていく指針を与えれくれるという便利な本です。

たとえば私は前世では「客観性を基調にした生き方」をしていたそうです。自分の欲求に従うのではなく、世界が、いまどのような状態にあるのかを客観的に観察し、その知見を他人の成功を導くために生かしていく様な職業に就いていた。例えば、科学者、エンジニア、発明家、などです。それば自分の中の「子供」を抑圧する生きかただったといいます。今世にあってはその子供を開放するのような仕事。他人ではなく自分の欲求を開放する仕事。他人ではなく自分の欲求を開放する仕事。たとえば舞台の中央に立つ仕事がよいとか。

おもしろいのはここからです。

前世の生き方のパターンが今世においての得意なパターンになる。しかし、それは生きていく目的ではない。

例えば私は今世では「客観的」であることが得意だというのです。そして今世ではそれを土台にして生きろと。例えば客観性を失わず自分を見失わないで舞台にたつというのが理想だと。

しかし今世で客観的であることを主たる目的にしてしまうととてもつまらない人生になるといいます。

今世では科学者、エンジニア、発明家などの職業に付くべきではない。

私はずっとコンピューターの仕事をしてきました。これも客観的であることを目指す仕事でしょう。得意でもあり、出来ました。しかし、どうしてもその仕事は心から好きになれなかった。

その仕事をしていると周りからはそればかり要求される。でも平安は得られない。そこから逃げ出したくなくなります。

得意なことは手段であるべきで目的になると失敗する!

これは恐ろしい指摘です。私たちは個性を伸ばしなさい、苦手なことを克服するよりもあなたの長所を伸ばすようにするべきだと言う言い方に慣れてきました。それは違うというのです。

私は寺に入りたてのころまず言い渡されたのが「お前の個性などどうでもよい」でした。「出来ないことができるようになることが修行である」と。

実はかつての仕事に対する評価もそうでした。求められる能力にA,B,C,D…とあるなら評価はA×B×C×D×…というかけ算なのですね。一つでもゼロがあると評価はゼロ。

私は「ついうっかり」がとても多い不注意な人間ですが、いま思うとそういう基礎的な能力に一つでもゼロがあると責任のある地位には推薦できなかったのだと思います。実際出世できませんでした。

人生を生きる上で苦手なこと、無視してきたこと、慣れていることとは正反対のことを軽視しているとその人の本当の喜びは訪れないというのです。

気持ちではなく、心ではなく、魂が納得しないとだめだ。

私たちの人生の目的は自分の魂が喜ぶ状態を探してそれに邁進すること。その鍵は慣れ親しんでいる価値と反対側に大きなヒントがあるということ。

甘えることやわがままになることがその人にとっての今世の課題であることさえありえるのです。

幸せを感じられるようになることが人生の目的であると言えるのかもしれません

魂に届くような深い納得と安心を得るためにはいったん自分の築いてきた価値を捨てる覚悟が必要だと。

捨てたあとまたそれはあなたを支える土台として蘇るのです。

前世とは、いったん自分の築いてきた価値観であるとすれば、この本はあたなにとって知恵にあふれた本に変貌するかもしれません。

「前世ソールリーディング、あなたの魂はどこから来たのか」 ジャン・スピラー著