本日、真言宗智山派 別院真福寺 講堂にて師匠の羽田守快先生が「密教と吉凶」について講演をなさいました。
羽田先生はもとより、尊星王流宿曜占星術の創始者であり、密教の修法・事相の泰斗である方です。
1時間半の講演、20分の質疑でしたので、宿曜占星術の詳細を語ることはなさいませんでしたが、仏教と占いとのかかわり、僧侶としての心構え、ひいては密教の奥義にいたるお話しをなさってくださいました。
特に、感動したのは以下の内容です。
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迷故三界城
悟故十方空
本來無東西
何処有南北
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迷うが故に三界に城あり
悟るが故に十方空なり
本来東西無し
いずくんぞ南北有らん
城とは壁で四方を囲まれた中国の城壁都市をイメージします。
迷っていると周りは壁で囲まれているという意味です。
本来東西はない。どこに南北があるというのか。
上記の句は方位除けでお唱えする常套句です。
要は、方位の災いなど無いと思えということです。
これは、方位の災いなど迷信だと笑い飛ばす人には方災は来ないということを意味しません。
方災はあるのです。それを知った上で否定する。
ランクアップする(これは羽田先生の用語です)ことが大事であると羽田先生はお説きになりました。
それは吉凶も同じであると。
運がいいとか悪いとか、そういうことって確かにあるのです。
吉凶があることを認め、そのうえでそれを否定する。このプロセスを先生は塞翁が馬の例で教えてくださいました。
これは御祈祷の原理や密教の奥義にかかわる話であると思います。
御祈祷は科学的な記述にはなじまない事柄ですから、学者や思想的に仏教をとらえている人たちには高尚なものとして見られない傾向があります。
しかしそこには深遠な思想が隠れているのだということを羽田先生はお示しくださいました。
まさに原始仏教ではなく大乗仏教のあり方であり、私はそこに関われていることに誇りを新たにすることができました。
占いとは(特に宿曜占星術)前世からの業の今世での現れを示しているというお話しもありました。
業論の重要性も羽田先生がよく説かれることの一つです。
今回の講演は真言宗智山派の智山教化センターの企画によって行われました。
たいへんありがたいことです。
会場は満杯で入場を断られた方もいらしたそうです。
その貴重な内容を一部とはいえここに出してしまうことに一抹の不安もありますが、内容がすばらしいことと智山教化センターのご厚意でお金を払わなければ聞けない内容ではなかったことを鑑み、ここに記しました。文責は当然私藤川にあります。ご容赦くださいませ。