十一面観音さまの役割
十一面観音さまは天部の統率者、監督者としてイメージされることが多い菩薩です
天部とは毘沙門天、弁財天、大黒天、といった○○天と呼ばれる仏さまの総称で、より具体的に早く祈願を叶えてくださる仏さまたちです
十一面観音さまはそういった天部の暴走を抑えコントロールしてくださる菩薩さまという風に語られることがあります
ええっ?!
人間ごときが何を偉そうに言っているのでしょうか
天部は恐ろしいから、罰(ばち)があたるから拝んではならないという言い方が実は僧侶の世界にはあります
また、鬼子母神(この方も天部)のように、もともと夜叉であったという来歴をもって、天部を一段下に見る風潮が寺の世界にはございます
天部の仏さま(天部の神様ということが多い)は人間の望みを叶えたくてしょうがないというイメージが私にはあります
例えば、私の知っている行者ですが、切ろうとすると事故が多発する樹を拝んだら、翌日樹が自分で倒れたという事例を知っています
拝んだら、大きな癌の塊がたちどころに消えた、などという話しも聞きます
すごいですねえ
天部のお働きは派手です
でもこういうことが起きると実は危険なこともあるのです
①信者の欲望がエスカレートする
②行者が増上万(偉そう)になる
信者は「あの先生に頼めばなんでも叶う」となったら人としておかしいです
行者はお金も人も集まってきて生活が派手になり、言動がおかしくなります
危ないです
十一面観音さまの抑える暴走は天部ではなく人間のものだと思います
行者の大事な役目の一つは人間の欲望のコントロールです
天部のそれではありません
十一面観音さまは、厳しい仏と行者がよく言うのはそういうことだろうと理解しています
お前、調子にのんなよ、という感じです
十一面観音や如来のいない、天部が寺の本尊という形式は難しいと思います
拙寺はドーンと真ん中に薬師さまと十一面観音さまがいらして、にらみをきかしています
皆さんご安心下さい
私に祈願を頼んでも派手な奇跡は起こりませんから(えっへん)
祈願は叶えばいいと言うものではないのです
(全然叶わないと祈願寺はやっていけませんけど……)
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先ほど
十一面観音供養法950座め修し終わりました
明日は拙寺十一面観音さまの来歴を書きます