戒とは その5
6/16に五戒の話を少し書きました
不殺生(ふせっしょう)
不偸盗(ふちゅうとう)
不邪婬(ふじゃいん)
不妄語(ふもうご)
不邪見(ふじゃけん)
①殺すな②盗むな③道に外れた性行為をするな
④嘘をつくな⑤邪な信心をするな
実際に戒を授かるときには上記の内容を誓うという形をとります
しかし、現実世界でこれを完全に守りきることは実は大変難しいのです
私たちは肉も食べます 蚊やゴキブリを殺しますし、野菜しか食べなくても、絶対に生き物を殺さない農業はなかなかありません
たとえ農薬を使わなくても農地を作る行為がすでに自然破壊であるともいえます
さすがに盗まないだろうと思っても、例えば遅刻は人の時間を奪うことです
食べるということはそのまま何かの命を奪っているとも言えます
発展途上国の人の相対的に安い賃金を利用して安い服を着ているとしたら、もしかしたらそれはその人たちから何かを奪っているかもしれません
受験競争に勝つことは負けた人からその学問の機会を奪っているかもしれません
おそらく五戒を完全に守り抜くことは人として不可能なのだと思います
以下9年前に私が書いた文章ですが、
薬師の十二上願の第五
https://jougan.com/statue/20110131/1288/
第五願 具戒清浄
無数の人々が、修業中に邪まな情欲に身をゆだねず清らかな修行をするときには、すべての人々が戒を保つようにしよう。例え戒を冒すようなことになっても、我が名を聞くなら、清らかな世界に戻り、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣の世界に堕落することのないようにしよう
とあります
戒を破っても破っても、必ず戒を守る方向に私たちを導くお力を授かる、これが戒を授かるということです
引き戻して頂く力を頂戴するということです
戒を授かると自然と疚(やま)しいことが減ってきます
後ろめたいことがないことが一番強いことだ
と教わりました
どんなにお金や地位があってもばれたらどうしようと思うことがあれば人生は苦しいと思います(いっぱいいそうですね)
戒を守ることが自分を守ることになり、そして「戒」そのものが自分を守ってくれている、という感覚になってくればしめたものです
次回は戒を授かると何が起こるかについて書きます
寺の名前が「金剛尊院教会」から「上願寺」に変わる前の文章です
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