逆張りの主張②-2
自分らしさがどんなときにも許されるはずはない
自分らしさを貫くとは、社会が要請するあり方よりも、自分のありたい在り方を優先させる生き様のことでしょう。
自分らしさが賞賛されるのはその人の生き方、生き様が賞賛されているからであって、社会に、逆らっていることが賞賛されているわけではありません。
他人からの承認のない「自分らしさ」の追求は危険だと思います。
先端を行く人たちのよくいうことは「アメリカでは全く普通のことだった」です。
今、LGBTqがなんの問題もないと言えるのは、社会が承認(少なくとも建前は)したからであって、そうなるには多くの先人の努力があったはずです。(過去の日本で何の問題もない時代もあった。)
自分の生き様を優先することは結構なことですが、それは正しくあらねばなりません。
前回も書きましたが「強姦、盗撮、痴漢、小児性愛」が受け入れられることは決してありません。
例えば、私は今後は、タトゥーは受け入れられるようになるような気がしますが、少なくとも、それを受け入れる周辺の真っ当な人からの承認が必要です。
自分らしさの追求が人間関係を避けることの良い訳になるようでは甘い。
「一部のあなたを傷つける者たちを恐れるな」と言えるだけで、他人からの承認無しで「私らしさ」など通せる訳はない。
勇気と覚悟が必須です。
自分らしく生き、あなたの親しい人がそれを承認し(容認じゃないです)、それが世の中の承認にまで高まっていく。
素晴らしいし、感動的です。
しかし!
そんなに簡単なことじゃない、好き勝手していいってことじゃないぞよ、とこのジジイ(局)は言いたいのじゃ。