霊の障りと占い
「霊障」が疑われる事案について拝みました。
師匠のブログにもありましたので、簡単にご報告いたします。
ポイントは、施主が霊障であると主張していなかったことです。
いきなり、私はとりつかれている!と訴える場合は師匠も私もまずはお断りすると思います。
判断するのはあくまで私ども僧侶です。
ここは重要で譲れません。
さて、私はいわゆる霊感はないので霊崇占という占いをします。
具体的には断易を使いました。
ここで大変興味深いことが起こりました。
この案件は師匠からの紹介で、師匠は強大な直観力で「これは霊的な現象である」と申し渡しがありました。
そこで、私は私で、施主の〇〇家に霊障ありや、で占うと、霊障ではないと出るのです。
困りました。
その後、詳細は書けませんが、いくつかヒントになる情報がもたらされ、どうも〇〇家ではく、奥様の実家の▲▲家の障りであろうとの見通しが示されました。
そこで、▲▲家に霊障ありや、で占うと、ひどい障りが!
ふう。
精霊供養にもう一つ行法を加えました。
術自体はうまくいったと思います。
しかし、手術がうまくいったから、患者は必ず助かるとは限りません。
精霊供養は私の術のあと、施主に100日間お経を読み続けていただくことなります。
3か月でどうなるかですね。
さて、ここで重要なのは、このような案件は決して理由の確認など出来ないということです。
施主もいろいろな霊能者に相談したようです。
いろいろ言われる。
迷う。
何故こんな目にあうのだ!!!
の理由を追求し続けることにはほぼ意味がありません。
興味深いのは、行が進むと、そういえばこんなことがありました、と、もろもろの過去が想起されてきます。
これが重要です。
すこしづつ、明らかになることがあり、施主も行者も納得が進む。
私に霊感がないのは決めつけを避けるうえでよいことなのかもしれません。
霊障対策は、ほぼほぼ供養です。
みんなひっくるめて、「ごめんなさい」です。
「大変でしたね」「怖がらなくていいです」「お助けしたい」
です。
(ただある程度の供養の対象の絞り込みも必要になります。)
そこに施主の納得と謙虚さがあればうまくいきます。
目的はあくまで現実世界の苦しみが解消することです。
なお、これは決して心理療法ではありません。