大峰奥掛(おおみねおくがけ)のスタートは熊野本宮大社、ゴールは金峯山寺であります。(南から北へ)
実は金峯山寺をスタートとし、熊野本宮大社をゴールとする考え方もあります。(北から南へ)
前者を順峰(じゅんぶ)、後者を逆峰(ぎゃくぶ)と申します。
順と逆なら順の方が正式であろうと思いますが逆峰の方が多数派です。
そしてさらに言えば、すべての行程を歩きとおすのは順峰のグループのみであります。
大きなお寺のグループとしては「三井寺」と「青岸渡寺」だけです。
私どもは全行程を三分割して三年かけて歩きとおします。
ですので、事情で一年登れなくなると、満行には三年後にもう一度同じコースで挑戦しなくてはなりません。
全行程を一挙に一週間ほどかけて歩きとおす「通し」という行も不定期に行われてきました。私も一度通しに参加させて頂きました。
一週間分の水と食料を担いで登るのではなく、途中の車で登れる宿で補給を受けながらの歩きになります。
昔の人も途中の宿で補給を受けていたのだと思います。
全行程を三分割するポイントの地点として
「玉置神社」と「前鬼・小仲坊」があります。
1.熊野本宮大社→玉置神社
2.玉置神社→前鬼・小仲坊
3.前鬼・小仲坊→金峯山寺
であります。
今年は第2コースでしたので、玉置神社から始まり、前鬼・小仲坊で終了です。
来年は三井寺からバスで前鬼まで行き、歩いて金峯山寺に至るコースであります。
逆峰のグループが歩くのは3のコースのみです。
(実際は金峯山寺→前鬼・小仲坊)
前鬼から熊野本宮大社まではバスで行くそうです。
逆峰の人は一年で満行が可能となります。
この第3のコースの途中に「大峰山寺」という女人禁制の寺がありその近辺は女性入山禁止です。
ただ法律で禁止されているわけではもちろんなく、常に監視しているわけでもないので誰もいない冬にこっそり上る女性がいるらしいという話も耳にしました。
この第1、第2のコースを合わせて南奥掛けといい、江戸時代、少なくとも明治のころには、このコースを歩く行者はなく、道は全く荒れ果てていたといいます。
一方、吉野~前鬼にいたるコースは継続して行われていたので、これがいつの間にか正式なコースとされてしまったのかもしれません。
そしてこの南奥掛けを昭和50年に復興させたのが「三井寺」の御先達なのであります。
青岸渡寺のご住職の高木亮英先生は熊野修験の復興に尽力したことで有名ですので、奥掛けの代表格として青岸渡寺のお名前がでることが多いようでが、高木先生は三井寺の奥掛けに三年かけて同行なさり、その後、青岸渡寺独自で奥掛けを始められたと聞いています。
昭和50年(1975年)は令和4年(2022年)の47年前。当時30歳なら今は77歳、その時の最初期のメンバーと私はかつて一緒に大峰に登らせていただきました。
このようにして私どもは先人の德をつないでいるのだと思うと感無量なのであります。
つづき・・・(最初どのくらい大変だったかについて)