⑦よりつづき

天台宗は円蜜禅戒などど申しまして
円(法華経)
蜜(密教)
禅(止観):座禅ですが禅宗のものとは違うようです。
戒(戒律)
と4本の柱からなります。

そしてわが寺門宗はこれに加えて「修験道」がはいります。
5本柱ですね。

今修験道の部分はほぼほぼ聖護院が引継ぎ(というか分離)して具体的な行事は三井寺ではあまり盛んではないかもしれません。

しかし、この大峰奥掛けはその柱たる修験そのものであります。

奥掛けが三井寺の宗教的支えになっている。

このような話があります。

キリスト教の話で恐縮ですが、北海道にほぼ世間から隔絶された祈りのためだけの施設があるそうです。(名前は知らない)

トラピスト教会はバターで有名ですが、労働を通じて社会とつながりつつ宗教活動を行っています。

しかし、その祈りのみの教会は他の教会や信者さまの御寄進を受けながらひたすら修道士たちがおがみ続けるそうです。

友人の神父がおっしゃっていましたが、私たち(神父)はその祈りに支えられて信仰を続けることができるのだとおっしゃっていました。

祈りのみ、社会とのつながりはなく生産はしない。
そしてそのことが尊く意味深い。

奥掛けも同様だと思います。

奥掛けには物理的な効用などありません。

三井寺は宣伝が下手ですから、大峰奥掛けで三井寺はどれだけの重要な役割を果たしてきたかなど、ほとんどの方はご存じないでしょう。

天台宗の千日回峰のような宗教的権威付け(もちろんそれだけではありませんが)は期待できない。

しかし奥掛けは確かに三井寺の神聖の根源になっていると思います。

歩いているとそれは強く感じます。

歩くのは義務になっているから満行だけはとりあえずしておきましょうというのではもったいない。

寺の人間たちは、なかば義務というプレッシャーのためか、逆に在家の人たちの方に奥掛けへの熱意を感じてしまいます。

大峰奥掛け道は世界遺産です。

金峯山寺や熊野本宮大社のような建造物のみならず「道」が遺産とは、まさに私ども修験者がいまでも修行の実践をつづけているという事実に対するリスペクトだと思います。

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