差別の複雑さ
東京への差別という文脈で書きましたが、どうもそれだけではすまなさそうです
地方で感染者がでるとその家族に対するバッシングがひどい、それを恐れているということです
東京に対する恐怖というより感染者を出すことによる自分の周りの人からの攻撃を恐れるという構図があるようです
①三密を避ける
②不要不急の外出を控える
③ソーシャルディスタンスを十分にとる
④マスクをつける
ことが求められます
それらを守れば感染しないというメッセージは、逆に言えば感染したのはそれらを守らなかったということになりそうです
私の故郷の福井で続けて二人感染者が出ましたが、その人は東京に出張していたことが繰り返し報道されます
東京にさえ行かなければ…
その人だけが東京に行ったわけではありますまい
東京に行った百人のうちの、千人行ったうちの一人かもしれない(その一人以外は感染しなかったということにはならない)
でもたとえそれが十万人に一人であっても東京に行かなければ感染しなかったということになるのでしょう
それともバッシングする人たちはそんな面倒なことは考えていないのでしょうか
目の前の異物をただ排除したいという衝動だけでしょうか
これは最近の日本人の傾向なのでしょうか
それとも昔からそうだったのでしょうか
他者を排除する衝動はもっと根深いのかもしれない
だからこそ智慧が大事だと思いたい
他者を排除したい欲求は智慧よりも根源的(動物的)なものかもしれません
だからこそ私は抗(あらが)いたいと思います
https://president.jp/articles/-/28421