今日、ある人から地獄はあるのでしょうかと尋ねられました。

私たちは、仏さまのいらっしゃる仏界を信じ、神々のおられる天界を信じて日々修業する身です。
その意味で地獄の存在も信ずるべきでありましょう。

そして、まさに、いま、関東・東北大震災という地獄がこの世に出現したわけであります。
あの家が流され、家族や財産を失い、そして生き残った者たちにさえ、放射能の雨が降り注ぐ、これは地獄絵であります。

まさに、本当の地獄が現れたといえましょう。

しかし、一方で、16歳の少年とおばあさんが十日ぶりに救助され、多くの善意が集まり、命の危険を冒して原子力発電所で後始末を買ってでて下さる方がいらっしゃるのです。
彼らは仏様であり、観音様であります。

地獄の中にも仏の世界が現れるわけであります。

日本ではこの状況でも略奪が起こらないと称賛されておりましたが、実は、盗難が頻発しているようです。
この事態に便乗して寄付を装った振り込め詐欺も起こっております。

これを畜生の世界といわずして何でしょう。

今、日本国内で円の需要が大きくなることを見越して投機筋が円を買いあさり一時的に円が戦後最高の値段にまで跳ね上がりました。
(前回の最高値は阪神淡路大震災の時でした)

このむさぼりこそ餓鬼の世界であります。

このように、私たちの住む世界である人界の中に、神仏や地獄や畜生の餓鬼の世界が現れます。

六道は天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄のことですが、このほかに、悟りの世界である声聞・縁覚・菩薩・仏の四つを加えて、十界と申します。

仏教の非常に重要な教えの中に「十界互具」というものがあります。

先の例のように今、人の世界に、仏、神、地獄、餓鬼、などの世界が現れたように、地獄の中にも仏様、神様が必ずいらっしゃるという意味です。

天界のどんなに贅沢な暮しの中にも地獄の影が忍び寄るのです。

(仏の世界にも悪の世界があるとされます。それは「如来に悪心ありや」という問いかけなのですが、また別の機会に解説します)

十の世界にはそれぞれ別の九つの世界を必ず内包している、そのことを「十界互具」と申します。

私たちは本当に苦しい地獄の中で仏様にお会いすることができましょうか?

絶望の淵で神様の助けを信じることができるでしょうか?

どんな絶望のなかでも光を感じられるはずだと口で言うのは簡単ですが、真に「十界互具」を悟ることが安心を得る基礎となるのだと仏教は教えます。

必ず救いはあるのだと信じきるのは理屈の世界ではありません。信仰のなせる業です。